徳川慶喜などについて勉強した

勉強をしました。15代将軍徳川慶喜土佐藩のすすめにより、政権を朝廷に返すことを決意し、1867年10月14日に大政奉還を朝廷に申し出ました。これには、政権は返上しても徳川氏が大名としては存続し、国政のうえで実質的な影響力を維持しようとするねらいがありました。これに対抗して倒幕派は、朝廷内の岩倉具視らと結んで12月9日、クーデタを決行し王政復古の大号令を発して新政府の樹立を宣言しました。そして、徳川氏の勢力一掃をはかり、徳川慶喜に対して官職を辞退し、領地の一部を返上するよう命じたので、旧幕府側は大いに不満を持ちました。こうして、265年続いた幕府はほろびましたが、情勢はなお流動的でした。新政府の課題は国内を統一し、その基礎をかためることでした。しかし旧幕府側の抵抗は強く、1868年1月の鳥羽・伏見の戦いを皮切りに、約1年半にわたる戊辰戦争がおこりました。新政府は徳川慶喜を朝廷の敵と見なし、同年3月に江戸城をとりあげると、会津藩など東北諸藩の連合(奥羽越列藩同盟)による抵抗を退け、さらに函館の五稜郭にたてこもった旧幕府軍と戦い、1869年5月に戦いを終えました。この間、1868年3月に新政府は五箇条の誓文を公布しました。