猫のしつけに苦労しています

私は家で猫を飼っています。

活発なメス猫で
飼い始めて1年が経ちました。

まだ1歳なので、
元気いっぱいです。

猫の飼育にも慣れてきて、
爪切りもできるしお風呂にも
入れられるようになりました。

爪切りは初めのうちは
動物病院で切ってもらっていましたが、
自分で切れるようになりました。

今は泊まりの旅行には行けないし、
仕事帰りも寄り道せず直帰が多く、
猫中心の生活になりつつあります。

うちの子は活発なのですが、
活発すぎて困ったことがあります。

それは噛み癖です。

眠いときや遊んでほしいときに
主に強く噛みついてきます。

あまりにも強く噛んでくるので、
私の足や手は傷だらけです。

噛み癖は良くないと思って
いろいろ対策はしました。

獣医さんに相談したら、
強く噛んできたら猫が嫌がることを
やると効果的と教えていただきました。

そこで、噛んできたときに
手を叩いて大きな音をさせたり、
霧吹きで水をかけてみたりしました。

でも、改善はされませんでした。

結局噛み癖は治らず、
いまでも続いています。

念願の猫との生活は楽しいですが、
どうにか噛み癖が治ってくれないかなぁと
思っています。

お客さんに噛みついて
怪我をさせてしまっては大変なので、
これからもしつけをがんばります。

チャーシュー麺を食べた

昼ごはんを食べました。コンビニで買ってきた「鶏ガラスープの直火焼チャーシュー麺」というのを食べました。初めて食べました。電子レンジで温めてから食べました。チャーシューが3枚くらい入っているので、ラーメンがより美味しく感じました。そして、ファストフード店で買ってきたハンバーガーとフライドポテトを食べました。冷たかったので、電子レンジで温めてから食べました。そして、昼過ぎに放送されているバラエティー番組を見ました。リアルタイムでは見ることができなかったので動画で見ました。今回は、さまざまな本を本物か偽物か見極めるコーナーをやっていました。見ていて面白かったです。そして、韓国のドラマを見ました。「テバク」というドラマを見ました。時代劇でした。知っている人が出ていたので、見ました。1話から5話まで見ました。そして、晩ごはんを食べました。唐揚げを食べました。5個くらい食べました。しょうゆ味の唐揚げでした。鶏むね肉だったので、あっさりしていました。そして、アニメを見ました。「名探偵コナン」というアニメを見ました。すごく久しぶりに見ました。映像が古かったので、ずっと前にやっていたのを再放送していました。

記者会見を見ました

あるグループの記者会見を見ました。動画で見ました。新しいアルバムが発売されるので、記者会見をやっていました。そして、昼ごはんを食べました。チャーハンと唐揚げを食べました。チャーハンと唐揚げは、冷凍食品のを食べました。そして、韓国のドラマを見ました。「テバク」というドラマを見ました。初めて見ました。時代劇のドラマでした。今回は4話をやっていました。また機会があれば、見てみたいなと思いました。そして、歴史について勉強をしました。長州藩尊王攘夷派は、島津久光が江戸に滞在しているあいだに、京都の主導権をにぎりました。そして、朝廷を動かして1863年に京都にのぼった将軍徳川家茂に攘夷決行の命令を出させ、それを口実に下関の海峡を通過した外国船を一方的に砲撃しました。これに少しおくれて、薩摩藩生麦事件への賠償を求めるイギリス軍艦の砲撃を鹿児島湾で受け、これと交戦しました。この年の8月18日、公武合体の立場をとる薩摩・会津藩八月十八日の政変をおこし、長州藩などの尊攘派を京都から追放しました。これに対し、長州の尊攘派は翌年に勢力回復をめざして上京しましたが、会津・桑名・薩摩藩などの兵に敗れて、退きました。

日本史について勉強

プリンを食べました。1個だけ食べました。カラメルが入っていたので、より美味しく感じました。ちょうどいい甘さでした。そして、日本史について勉強しました。戦乱があいついだ時代にも、農民・商工民は活発な経済活動をすすめていきました。惣をつくりあげた農民は互いに協力し、収穫量をあげるために働きました。農民は灌漑や排水の施設をつくり二毛作を各地で行い、畿内では三毛作まで行われました。早稲などの品種の改良も進みました。手工業では加賀の絹織物、美濃の美濃紙、尾張の陶器、備前の刀剣など、地方にも特産物がうまれてきました。京都では高級絹織物が織られ、摂津では酒づくりがさかんでした。手工業者や商人の間では、同業組合である座が朝廷や大寺社を本所として結成されました。生産が発達すると、商業もさかんになりました。商品は行商人の手で売られたほか、各地で定期市がたち月に6回の六斎市も広まりました。京都や奈良などの大きな都市では、見世棚をかまえた小売店が毎月店を出すようになりました。商人の座も増え、座に所属する商人は本所に営業税を納めるかわりに、通行税の免除や販売の独占権を認められ、広い範囲にわたって活動しました。しかし、戦国時代になると座に加わらない新しい商人たちの活動が目立つようになりました。

家族で食事に行きました。

義理の父親と母親のお祝いで、一緒にご飯を食べに、熊本市内のお料理やさんに行きました。

まず刺身盛り合わせを頼みました。

アジの生き造りでいけすに入っていたものをさばいていただいたらしく、まだお魚の部分がピクピク動いていました。アジのお刺身は新しかったので甘みがありすごく美味しかったです。他はサーモンもとろっとしていて美味しかったです。

次にカワハギのお刺身を頼みました。カワハギのお刺身には肝とカワハギの皮がついていました。ぽんずともみじおろしとネギでいただきました。肝はとろっとしていて美味しかったです。カワハギの皮は弾力があり、歯ごたえがあって美味しかったです。カワハギもいけすに入っていたものをさばいていただいたらしく、お魚の部分がピクピク動いていました。

父親と主人は生ビールを飲み終わって、次は熱燗を飲みながら、お食事をいただいていました。

次にステーキを頼みました。

ステーキには焼き石が入っていて、焼き足りないものは焼き石の上で焼けました。

バターも載っていたので、一緒にいただきました。バターのコクがプラスされて美味しかったです。

次に鶏皮串を頼みました。鶏の皮だけを串に沢山刺してこんがりやいて甘辛いたれをつけてあり、カリカリしていました。カリカリといただきました。結構ボリュームもありました。

最後にお茶漬けを頼みました。鮭と梅とやきおにぎりのお茶漬けを頼んでそれぞれいただきました。私と主人は私がお腹がいっぱいだったので、焼きおにぎり茶漬けを2人で食べました。こんがりとした焼きおにぎりにお茶漬けのだしが効いておいしかったです。

最後にご飯を食べてほっとしました。

それから少しお話して、お会計を済ませて帰りました。

コンサートを見ました

韓国のアーティストのコンサートを見ました。リアルタイムでは見れなかったので、動画で見ました。今回は、オーストラリアで行われたコンサートをやっていました。好きなアーティストが出ていました。曲も知っている曲でした。K-popはいろいろな国でコンサートをやっているので、うらやましいなと思いました。そして、勉強をしました。1428年の秋、奇病の流行や飢饉などによる社会不安のなかで、まず近江の民衆が徳政を求めて立ち上がりました。さらに畿内一帯の土一揆は幕府に徳政令を出すことを求めるとともに土倉や酒屋などにせまり、借金の帳消しを認めさせました。中世社会では支配者が交代すると、それまでの貸借関係などいろいろな関係が改まるという考え方がありました。一揆はこのような考え方にたって、徳政を求めたのです。ついで1441年に将軍足利義教が殺害された嘉吉の変をきっかけに、嘉吉の徳政一揆がおこりました。一揆は京都を占領し、幕府はやむなく徳政令を出しました。土一揆はこの後もしばしばおこり、幕府も徳政令をどんどん出すようになりました。このころ、下のものが上のものをしのいでいく実力主義の風潮を下剋上とよびましたが、土一揆徳政一揆の高まりは、その典型でした。

グルメ番組を見たりした

19時くらいから放送されているグルメ番組を見ました。「グルナイ」という番組を見ました。今回は、2時間スペシャルでした。さまざまな高級グルメが出ていました。1回だけでもいいので、高級レストランに行ってみたいなと思いました。そして、勉強をしました。南北朝の動乱のなかで、畿内とその周辺では農民の手で自治の村がつくられてきました。これを惣または惣村とよんでいます。惣は村民の会議である寄合の取り決めにもとづいて運営され、指導者は有力農民から選ばれました。村民は惣掟を定め、これにそむいたものは罰せられました。惣の活動は村の神社の祭礼や村の共有地の管理、さらには戦乱にそなえての自衛などにもおよび、領主へ納める年貢を村が責任を持って請け負う地下請も行われました。惣村の農民は神仏にちかって団結し、一揆を結んで荘園領主に対し年貢の軽減や免除を求めました。彼らは要求をとおすために領主のもとへ集団でおしかけたり、耕作を放棄して他領へ逃げたりしました。やがてこれらの惣村は荘園のわくをこえて連合し領主支配に抵抗したため、しだいに領主の支配はむずかしくなっていきました。1428年には、借金の帳消しを求める徳政をスローガンに掲げた土一揆がおこりました。